教会の中では、同性同士の結婚なんて考えられない、と良く言われます。
反対に、セクシュアル・マイノリティの側からは、ヘテロセクシュアルの制度である”結婚”に、
セクシュアルマイノリティも絡め取られてしまう問題について指摘されることがあります。
欧米では、同性同士の結婚やパートナーシップが法的に認められる国も出てきていますが、
日本では”パートナーシップ法”のような形でも、
同性同士のパートナーが認められるのはもう少し先の話になるような感じがしています。
同性婚の神学的な可否や結婚という制度については、
これからもいろいろな議論をして行けばよいのでしょうが、
実際にパートナーと生活をしている、セクシュアル・マイノリティにとっては、
何らかの形で、パートナーシップを法的に保証してもらうことは、緊急で切実な問題です。
パートーナーの死によって、二人で築いてきた財産が、
最愛の人の死にうちひしがれているときに、
法的な名義のために、奪われてしまう。
ヘテロの人たちはそれが当たり前だなんて言いますが、
どう考えても、男女二分法にあぐらをかいた、とっても高慢で残忍な行為だと思いませんか?
結婚や、セクシュアルマイノリティの人権について、いろいろとヘテロセクシュアルの権威にどかっと
あぐらをかいたところから発言をしている某教会関係の方がいらっしゃいますが、
もう少しご自分の抑圧的高慢な姿勢にも目を向けて欲しいものです。
人権を尊重するとは、対等な立場にたってはじめて可能なのであって、
高いところから憐れみをたれているような発想のものでは、
相手の人権の尊重なんて出来ませんから。
こういうことを書くと、
「お前が対等でないところから発言しているじゃないか」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
そう思う”ハナから同性婚なんて言語道断と思っていらっしゃる方”は、是非ご自分の立ち位置を再度確認されてから、
同じことが言えるか考えてみてくださいね。
4月の集会のお知らせは↓をご覧くださいね。
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夕刻大聖堂で聖餐式にひたる幸せでした☆
教会が教える結婚観ってどんな内容なんでしょうね。
「祝福」=「子孫の繁栄」っていう発想からくるのでしょうか。